今、週刊少年チャンピオンが、もっともプッシュしている漫画のひとつがクローバーである。
トラブルエイジシリーズで、短編読みきりを発表していた、平川哲弘先生、初の本格連載。
チャンピオン単独表紙・巻頭カラーも何回か飾り、ギャンブルフィッシュと並んで、チャンピオン3看板(ドカベン・浦安・刃牙)に続くポジションを確保したと思う。
秋田書店の全社的な看板作品は、高橋ヒロシ先生のワーストに代表される高橋ヒロシ作品であり、秋田書店の全社売り上げに占める割合も圧倒的だと思う。
その流れにおいて、このクローバーという漫画が登場したのは、至極、当然の流れでもある。
今週号の表紙も、クローバーだったが、これはインパクトはある。
彩色もきれいだし、ジャケットの光沢感もうまく表現されている。
中学生時代から読み始めたチャンピオンだが、こういった流行やファッション感覚は、ほとんど無縁であった。
チャンピオンは、世の中の流れとは無縁な、ひとつの独立国家であり、それゆえに治外法権が認められた、禁断の領域であった。
ジャンプやマガジン、サンデーで爆発的ヒット作品が生まれたとしても、チャンピオンがそれを模倣したり、それに対抗する作品を発表したりすることは、ほとんどありえなかった。
あったとしても、「金田一少年の事件簿」がヒットした頃、ミステリー作家の岡嶋二人を原作に迎え、「探偵ボーズ21休さん」という作品を発表した程度のこと。
この作品において、主人公の決め台詞、「あなたの心には闇がございます」というのがあったが、それはまさしく、チャンピオン読者に向けられた言葉であり、この漫画作品自体は、漫画界からは黙殺された。
話は戻るが、このクローバー、単行本は売れている。
まず魅力なのが、この秋田書店には今までなかった、普遍的な魅力を持った流行的な画風だろう。
「ALWAYS 三丁目の夕日」がヒットする前から、チャンピオンは昭和スタイルを堅持していたが、クローバーの画風は、今の中学生、高校生に受け入れられやすい画風で、その画力は高く評価したい。
この画力、画風で、週刊少年マガジンあたりで、編集部が集団体制でストーリー作成、漫画家は作画のみというスタイルならば、間違いなくヒットしていただろう。
この画力、画風、コマ割の大胆さ(アングルの切り替え方)は、チャンピオンの最近のデビュー組の中では、ひとつ頭抜けている。
ところが、どうしても、この作品を読んでいて、納得できないことがある。
それは、あまりにも支離滅裂、陳腐なストーリーだ。
漫画は、まずストーリーありきで、発想が命であると言える。
クローバーの場合、このストーリーが、あまりにも貧弱で、羊頭狗肉になっている。
まず「友情」というのがテーマ、商業作品としてのセールスポイントになっているが、友情らしい友情は、まったく見られない。
あるのは、動機なき、理由なき、まったくもって「暴力」としか言えないシーンの連続である。
この暴力を作品内では、ケンカと言い換えている場合が多いが、そこに感情と感情の真正面からの、魂のぶつかり合いは感じられない。
比較対象として、小沢としお先生の「ナンバMG5」を挙げるならば、小沢作品にあって、平川作品にないものは、下記の点に要約されると思う。
「ストーリー展開の起承転結」
事件発生→主人公たちの動機付け→キャラクター特性による漫画的行動→見せ場(クライマックス)→ストーリーの完結と読者の納得
言い換えれば、「(事件)が起きたから、(主人公)はこのような行動をとった。ところが、(相手)は動かず、衝突することになった。その(結果)最終的にこのような形で着地しました」という、一本の線が通った、論理的な漫画としてのストーリーである。
いわば、漫画の醍醐味とは、キャラクターの行動に対する「共感」と「反発」であり、それは「読者と作品の一体化」でもある。
こうした観点から、クローバーを読み解くと、その破綻したストーリー展開は、漫画本来の基本とは程遠く、すべてにおいて、理論付けが後回し、放置され、読んでいて、まったく「一体感」がないのが、最大の問題点だと思う。
一番の疑問は、主人公ハヤトたちの、一連の行動にまったく首尾一貫した「思い」がないことであり、ケンカと称した、漫画的意味合いを欠いたまま展開される暴力シーンだと思う。
ストーリーに柱がないので、どちらが勝とうが負けようが、まったく興味がないのだ。
もし、秋田編集部が、クローバーという作品に対し、将来性を感じ、大きな作品、作家に育てたいならば、もう一度、漫画的原点に戻って、ストーリーを柱にした画力の発揮、というスタイルにして欲しい。

