打ち切り確定・・・なのだろうか。
「振り向けば現代怪奇絵巻」となった今週の覇道だが、このまま打ち切りにされるのは残念な気がする。
この漫画、確かにありとあらゆる面で、漫画として機能していない。
魅力のない主人公、スピードのない画面、時代遅れの画風、気にならない次週。
ありとあらゆる面でダメな作品であり、週刊少年誌に連載されていることが信じられないほどである。
おまけに連載開始当初は「番長漫画の真打登場」などと、あかたも週刊少年サンデー連載の『金剛番長』を意識したかのような勘違い丸出しの厄いキャッチコピーが付いていた。
ところが、ヤギサワというキャラクターの登場で状況が一変する。
この「一変」とは、「好転」ではない、「暗転」である。
この決定的な「暗転」こそが、この覇道という作品のポジションを決定付けたと言っていいだろう。
それは崖の上ギリギリのところにいた覇道がヤギサワというキャラクターの出現によって、奈落の底に落ちたことを示している。
奈落の底に落ちた覇道。
そこに待っていたのは打ち切り確定という宣告である。
しかし、どうだろう。
思えば、覇道は最初から覇道だったのである。
つまり、覇道は、今週の第8話まで進んだものの、最初から今まで具体的には何も変わっていないのである。
読者を意識することもなく、覇道であり続けた覇道。
そう考えると、この作品にとって、連載がいつまで続くのか、単行本は出るのか、そんなことなど「どうでもいい話」なのである。
それを実感したのが、今週の扉絵を見た瞬間であった。
「とっておきの殺戮歌(バラード)を」とコピーがあり、バイクを背景にヤギサワがポーズを決めている。
バラードにひっかけてあるのだろうか、背景には大きな薔薇も見える。
この扉絵を見た瞬間、俺はある種の緊張を覚えた。
それは「見てはいけないものを見てしまった」という緊張である。
ここで、俺はふと、他の少年誌のことが頭に浮かんだ。
ジャンプ、マガジン、サンデー・・・、それらの少年誌には絶対ありえないであろう、この扉絵。
見てはいけないものを見てしまった・・・という緊張。
それは幽霊を見てしまった・・・という感覚ではない。
真夜中にオシッコに起きたら、両親の合体シーンを見てしまった・・・という感覚に近い。
そのヤギサワはバイクを降りたときからが本領発揮。
“死のダンス”が始まるという。
ヤギサワのダンス、それはダンスではない。
躍動感はまるでなく、糸で吊るされた操り人形のような動きである。
バイクスーツのまま、ヘルメットもそのままに、ダンスを続けるヤギサワ。
それは喧嘩という名の“ロック”なのであった。
このキヨマサVSヤギサワの戦いを見ていて思うことがある。
それは「勝者はどちらでもいい」ということである。
普通ならば主人公を応援するのが当然だろう。
しかし、覇道においては、主人公などどうでもいいのである。
キヨマサが勝とうが、ヤギサワが勝とうが、そんなことは興味の対象ではない。
興味の対象はひとつしかない。
この漫画はいつまで続くのか?
続くとしたら何のために続けるのか?
ということである。
それは好意的に解釈すれば、「希少性」である。
他誌では見られない。
だからといってチャンピオンならば許されるといった作品でもない。
けれど、現実として連載は続いている。
「遅かれ早かれ」ではなく、「早かれ早かれ」終わる宿命の作品である。
そこに「希少性がある」
ノブトラVSキヨマサが決定したところで打ち切りになるのだろう。
ヤギサワに勝利したキヨマサにノブトラが動く。
そう、やはり、どうでもいいことなのである。
まったく興味のわかないことなのである。
ならば、その「希少性」を毎週、楽しむことにしたい。

