人面犬の『秋田で始まり、秋田で終わる』

『週刊少年チャンピオン』で田中杜芝先生の短期集中連載の実現を!!

『ビジネスジャンプ』 17号掲載 水島新司 「丸山清の青春〜くそ暑い夏」

『週刊少年チャンピオン』において「ドカベン・スーパースターズ編」を連載中の水島先生が、今日発売の『ビジネスジャンプ』に「丸山清の青春〜くそ暑い夏」と題した50ページの新作読み切りを発表。

大方、予想はしていたものの、決して「ドカベン」のような派手さがあるわけではなく、それでいて心に静かに、鮮明に残る、読み応えのある読みきりに仕上がっている。

主人公、丸山清は高校野球、青森県代表「青森ねぶた商業」の野球部員であり、これまでの苦労と縁の下の力持ちを棟方監督に評価され、甲子園大会のベンチに入った。

リアルな描写が登場し、驚かされる。

この「リアル」とは、野球シーンの「リアル」ではなく、登場人物たちの「リアル」な人間としての姿である。

清のベンチ入りに公然と文句をつけるスタンドの野球部員たち。
その野球部員たちの親たち。

予選大会では、ベンチ入りしなかった清が、甲子園の本大会ではベンチ入りしていることへの不満。

その不満を口にするシーンが、あまりにも「リアル」である。

なぜ、このような「リアル」なシーンが描かれたのだろうか?

ひとつは、高校野球において、それは決して珍しくないことであるということを考えなくてはならない。

もうひとつは、このシーンによって、清がベンチ入りに抜擢された理由とは何か?という疑問が大きくなってくる演出効果がある。


それを踏まえた上で、この清の高校野球にかけた青春を思うとき、何を感じるだろうか?

お世辞にもスマートな考え方や、プレーヤーとしての才能は感じられない。

ただ、強烈に感じられるのは、野球をできる喜びを誰よりも知っているということだろう。

棟方監督の言葉に「今のこのチームは間違いなく清が作った・・・」という回顧のセリフがあるのだが、その次に描写される過去のシーンが、印象深い。

野球部の「いじめ練習」に嫌気が差し、退部を申し出た部員、吉田。

清が、アナウンサーに扮し、吉田が活躍し、ヒーローインタビューに応じるシーンを架空実況するのだが、なんとも胸の熱くなる描写である。

野球を志す者ならば、誰もが憧れるサヨナラのシーン・・・、その憧れを、即興で、馬鹿馬鹿しいほど純粋なままに架空で再現した清に特別な意図、打算があったとは思えない。

野球を続けたい・・・という、心の奥底に眠る「未練」を清が肯定してくれたことが吉田にとって、この上ない喜びだったのではないだろうか。

その過去のシーンから、場面は転換し、甲子園の本大会で吉田がツーベースヒットを打つのだが、そこで吉田が清に投げかけた言葉が心に響く。

「打ったぜ 清 サヨナラじゃないけど おまえの実況通り ヒット打ったぜ」

そう、覚えていたのである。

些細なことなのかもしれないけれど、今、こうして吉田が野球の楽しさを、甲子園という桧舞台で満喫できるのは、清の存在があったからなのである。

ピックアップした、このシーンだけではなく、清がズバリと発言し、場面が好転するシーンがいくつか描かれているのが興味深い。

そこで、ふと、俺は気付かされる。

清も立派なプレーヤーなのだと。

ヒットを打ったり、いい走りを見せたり、ハイセンスな守備を見せたり・・・、スーパープレーだけが野球ではない、そして、プレーではないのだ。

野球というドラマ、とりわけ高校野球というドラマは、フィールドの選手だけで成立するものではない。

この「青森ねぶた商業」を、ひとつの青春ドラマの舞台と見るならば、主役はフィールドにいるプレーヤーだけではない。

スタンドで「不満」を口にする部員、その親、応援団、チアガール、それらがすべてこのドラマの成立要因であることに今更ながら気付かされる。

そして、その共通点として「野球が好き」というプレーヤーであるなし関係ない根本的な思いが作用している。

ラストシーン、あの吉田に見せた架空実況のサヨナラ・・・、それを甲子園という大舞台で、それもホームランという最高の形で実現させた清だが、このあたりの劇的なエンディングこそ水島野球漫画の真髄であり、ベタかもしれないが、俺はここに最高の興奮を覚えるのである。

「ドカベン」「あぶさん」、いずれも世間の常識を超越した能力を持つキャラクターが登場する漫画であるが、この「丸山清の青春〜くそ暑い夏」は、きっと今日もどこかで、野球が大好きでたまらない少年が同じようなことをしてくれているのではないか?と幸せな気分にさせてくれる、今夏、一服の最高の清涼剤であることは間違いないだろう。
  1. 2008/08/06(水) 14:07:40|
  2. 一般漫画レビュー
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

宮尾岳 『アオバ自転車店』 ささやかな日常と飛びっきりの愛情

少年画報社 発行 宮尾岳 『アオバ自転車店』

aoba.jpg

※上記画像は最新単行本4巻になります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

漫画は一人で読むもの。

当たり前のことだが、では、読む時間、場所はどうだろうか。

きっと、十人十色、色々な時間、様々な場所で漫画を楽しんでいると思う。

自分のライフスタイルと漫画。

例えば、『週刊少年チャンピオン』を読むのは、木曜日の退社後、キオスクで買って、帰りの千代田線車内で読むことが多い。

今回紹介する漫画、宮尾岳先生の『アオバ自転車店』は、家族が寝静まった夜に一人、静寂の中で、ゆっくりと楽しむ・・・そんな漫画だろうと思う。

本作については、wikipediaの記事を参照して欲しい。

『アオバ自転車店』という漫画は、決して、派手な漫画ではない。

週刊発行される少年誌に掲載されるようなダイナミックな描写もなければ、奇想天外、トリッキーな仕掛けが巧妙に施されているわけでもない。

この記事を書くにあたって、サブタイトルを、ささやかな日常と飛びっきりの愛情としたのだが、まさしく本作の魅力は、そこに尽きるだろうと思う。

今、俺たちが生活している場所、空間、それは普遍的で見慣れた光景であると思うのだが、例えば駅前の交差点を歩く人たち、そこに10人いれば10通りの人生があり、1000人いれば1000通りの人生がある。

誰もが、何事もなかったかのような表情で、街を行き交うのだが、その一人ひとりに、大きなドラマが隠されている。

冒頭、「深夜に一人で読みたい」ということを書いたのだが、その理由は、本作に描かれるストーリーが、自分の人生、生き方、他者へのまなざしなど、「読みながら考えさせられる」要素を過分に含んでいるからに他ならない。

ドカベンも刃牙も、そしてPUNISHERも、直接的な意味において、自分の人生には関係のないことである。

逆にいえば、だからこそ「面白い」のだろう。

この『アオバ自転車店』という作品に出てくるキャラクターは、すべて等身大の身近な存在である。

そして、その等身大のキャラクターが織り成す美しいドラマがある。

その美しいドラマを、読むたびに、俺は、幸せな気分になり、そのキャラクターたちがどう思い、どう考え、どう行動したのか・・・、その流れを自分の「今」と照らし合わせながら、そっと焼酎の入ったグラスを傾けるのだ。

同時に俺は、この作品に対し、強い憧れ、憧憬を感じてしまう。

その「憧れ」の正体は、人間誰しもが本能的に持っている「優しくされたい」という気持ち、そして、「他者に優しくできるような強い自分でありたい」という願望だろう。

この作品には「人間の優しさ」が詰まっている。

だからこそ、俺は、この作品を読むたびに、幸せな気分になり、様々なことに対し、思いを巡らせるのだろう。

単行本収録のストーリーを幾つかピックアップして、そのあたりを探っていきたい。

単行本第3巻(リニューアル版・事実上の23巻に相当)収録の第2話「ヒミツのナイト・ラン」を、一番最初に取り上げたい。

主人公、アオバは大晦日の夜、「二年参り」(年をまたいで参観)を自転車でしたいと両親に願い出る。

そんなアオバにお父さんが出した答えは最初はNOだったが、「親と一緒なら」という条件でOKする。

アオバは「お父さんはダメ!お母さんと一緒に行く!」と言い、結局、母親と大晦日の自転車での二年参りに出かけるのだが、ここで父親が自転車職人らしく、深夜でも安全な自転車を準備する。

自転車に関する専門的な知識はまったく要求されない。

物語を読みながら、「ついでに、自然と」自転車に関する知識が紹介され、頭の中に入ってくる。

その、自転車知識とストーリー展開の融合性にまったく無理がなく、誰もが安心して楽しめる構成になっている点が素晴らしい。

小さなことなのだが、大晦日、年越し蕎麦を家族で食べるシーンを見ると、幸せな気分になってくる。

アオバが手を揃えて、大きな声で、「ごちそうさまでした」と言うシーン(カット)があるのだが、些細なことだが、こういうシーンに、この漫画の神髄が隠されているような気がする。

それは、昔はどの家庭でも当たり前の光景だったけれど、今は・・・という、追憶の中の、美しき原風景があるからだ。

大晦日の神社、アオバのお目当ては、「甘酒」だったのである。

それを知った俺は、びっくりしたのだ・・・、かくいう俺も小学生の頃、神社で大晦日に無料で配られる甘酒を毎年、心待ちにしていたからだ。

その瞬間、この漫画の主人公、峠アオバと一介の読者である俺は、強烈な一体感を得る。

そんな懐かしい、31歳になった俺の心の中にある、「原風景」を思い出させてくれる漫画なのだ。

だからこそ、俺は、そこに魅力を感じるだけでなく自分と向かい合う機会を得るのである。

ラスト、アオバと母親が、帰宅すると、父親がこたつで寝てしまっている。

それを見て、アオバが、「子供かね 君は」と言ってENDなのだが、この結末の妙が素晴らしい。

ストーリーの中間部分(深夜まで起きていることができなかったアオバ)に大きく関係し、ユーモアたっぷりの意趣返しになっているからである。

面白い!

手塚治虫先生の『ブラックジャック』と一緒で、読み終えてから、そのストーリーの濃さとページ数の少なさの反比例に驚くのだ。

続く第3話、「モリオとリュウジ」において描かれているのは、(詳細なストーリー紹介は割愛するが)、兄弟の愛情である。

ラストシーン、弟・リュウジは、兄・モリオが自分の知らないところで、気がつかないところで、自分の乗る自転車を整備していてくれたことを知り、愕然とする。

途中、「ブレーク」を題にしながら、「二つが揃わないと危ない」ということを兄は弟に諭すのだが、俺は、この「ブレーキ」が「兄弟関係」に思えて仕方がないのだ。

自転車のブレーキは、車輪を両脇から締め付けることによって制動力が働く。

片方だけのブレーキでは危険であり、ブレーキの役割をできない。

そんな当たり前のことを兄に言われ、気が付く弟なのだが、読者の俺は、ふと、(この兄弟の関係もブレーキそのものだな・・・)ということに気付かされる。

また、本作にもう一つの魅力は、完成度の高いユーモア、ギャグである。

とりわけ作中に出てくる漫画家・桃寺コージ先生(通称モモコー)を巡る一連のドタバタ劇の面白さは異常なぐらい。

それでいて、ラストは「納得できるオチ」が用意周到に準備されているのだから、恐れ入る。

もし、お金に少しばかりの余裕があって、漫画を読みながら、様々なことを思い巡らせることが好きな人がいたら、ぜひ、今夏は、寝苦しい熱帯夜、クーラーの入った部屋で、静寂の中で、『アオバ自転車店』の世界に身を置いてみることを、お勧めします。

  1. 2008/07/27(日) 21:25:10|
  2. 一般漫画レビュー
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ひばり書房 川島のりかず 「発狂した美しさ」の世界

日本がバブル経済に突入しようとしていた1980年代後半。

空前の好景気に沸きあがる日本経済。
日経平均株価が30000円の大台を超えた時代。

書店の漫画コーナーの片隅にひっそりと並ぶシリーズがあった。
当時の光景をリアルタイムで記憶しているわけではないが、確かに一般の書店で陳列され、販売されていたのである。

その漫画の出版元は「ひばり書房」という会社であり、「HIBARI HIT COMICS 怪談シリーズ」と銘打った単行本が発売されていたのである。

インターネットのサイトでも幅広く取り上げれているし、「現代怪奇絵巻」の根本尚先生のブログでも、しばしば取り上げられるので、知っている人は多いと思う。

俺が、この「ひばり書房」の存在を知ったのは、高校3年生の頃なのだが、とりわけ興味があるのが、川島のりかず先生である。

こちらのサイトを参照していただければ、参考になると思います。

川島のりかず先生に関しては、あらゆるところで語り尽くされていますが、ここまで人間の汚い部分を描き切った漫画家いないと思うし、時代的にも今後、こうした作品が「商業流通」に乗ることは皆無だと思われます。

ほぼ全ての川島作品を収集できたのですが、俺にとっての「最初の一冊」がこちらです。

「首を切られたいじめっ子」 1988年8月16日発行(※)

kawashima1.jpg


※ひばり書房は、内容がまったく同じでも表紙とタイトルを変えて「新刊」扱いで発売することが多々あったため、この日付も怪しいです。

この表紙を見ていただければ、(これはありえないな・・・)と即座に分かっていだけると思う。

高校時代に古本屋で100円、200円でまとめ買いしたのだが、どれも描き下ろし(ひばり書房は雑誌メディアを持っていない)なのだが、その内容は、ほぼ全ての作品に共通している。

それは「狂気」、ただひたすらに「狂気」である。
これは「怪談」ではない。
(単行本にはSFミステリーという表記もある)

人間が本質的に持つ「怨念」であり、川島作品に多いのが「コンプレックス」の問題である。
その根底には、「幸せな人が憎い、許せない」という感情があり、その延長線上には「どうして私ばかりが不幸なの?」「あいつだけが幸せだなんて許せない」という、なんとも恐ろしい感情があるのである。

上記作品「首を切られたいじめっ子」という作品のストーリーはこうだ。

小学生の女の子ミュウは、同級生の正子にいじめられている。
ある日、ミュウはやっと貯めた小遣いで、念願だった人形を買う。
大切にしていた人形だが、正子に取り上げられ、ボロボロにされてしまう。
そして、それから16年後の東京が舞台になる。
ミュウはOLとして働いていたが、ある日の夜、偶然、16年ぶりに正子と再会する。
ミュウは(もう昔のことだから・・・)と、正子を許していた。
ところが悲劇が起きるのである。
ミュウの彼氏、浩二が正子の誘惑により、取られてしまう。
そして、ミュウは悟る。
(正子・・・昔と何も変わっていない・・・私の大切なものを奪い取って・・・)
数日後、ミュウはペンションに正子を呼び、話し合いの機会を設けるものの決裂。
ミュウは怒り、怨念の感情を爆発させ、正子を殺してしまう。

この「殺し方」の描写が尋常ではない。
こんな漫画が、あのバブル景気華やかな頃、許されていたことが不思議でならない。

以下、内容があまりにも過激、ショッキングなため、(続きから)でお願いします。
非常に残酷な画像がありますので、ご注意ください。
続きの閲覧は各自の個人責任でお願いいたします。
【“ひばり書房 川島のりかず 「発狂した美しさ」の世界”の続きを読む】
  1. 2008/06/04(水) 19:36:28|
  2. 一般漫画レビュー
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0